行きの新幹線も、
ホテル着いた時も、
翌日の東京観光も、
帰りの新幹線も、
全部楽しかったけど、本当だけど、
どっか頭の隅が虚ろで、ぼんやりしてた。
現地では大切な人と2人も会えて、
もうそれだけで気持ちが落ち着かず、ずっとそわそわして、
当人お二方、申し訳なかったです・・・普段はもっとどんよりした人間です。はは。
グッズはもとから買う気あんまりなくて、タオルぐらい余ってたら買えりゃいいかなって程度だった。
あの行列見て恐れ多くなったね。甘かった。すみません。
会場内に入ると、いろんな人のいろんな感情をドッと吸収してしまい、
じんわり頭重かった。あったかいお茶飲んでなんとかしのぐ。
開演前、うの人&ゆの人と会話してたら、
目の前をコーキさんがすーっと歩いていて、
思わず大きな声で「高橋さん!」って2人に叫んでしまった。
あっちに気付かれなくて良かった・・・というか私たち意外誰も気付いてないのか?それあんまりじゃないか・・・?
***
彼らの生音を聴くのは3回目。それぞれ別々で、は何度かあったけど。
ハンドタオルを握り締めて鼓膜に焼き付ける。隙間をぬって網膜に焼き付ける。刻み付ける。
イントロ、3つの音が重なって、『I・N・M』だと気付いた瞬間。
ここで一気に現実を見た気がする。
終わりを告げられているのだと。
それは彼らとの、でもあるし、あの人との、だということも実感して、肌が粟立った。
彼らに動きがなくなれば、自然と、あの人のことを思い出す機会もないってことでしょ?
それまでその名前を耳にすることで反射的に呼び覚まされた記憶は、
私が引き出しを触らない限り、もう、お蔵入り、なのでしょ?
そういうことなんだね。
それからはただ、焼かれていくような気持ち。
こういう時って大概、楽しい思い出が燃やされるんだよね。
悲しさばっかりで満たされた。
それでも、会場の、お客さんの、ひとつひとつの声(叫び)に、
同調/共鳴して、視界が滲む。
「がっちゃん」「おわらないよ」「だいすき」「あいしてる」「ありがとう」
全部本当で、私もなにか叫びたかったけれど、
あの人を通しての思いでしか彼らを観られない私なんかに、なにも言う資格などなく、
みんなの声を聴くだけだった。
「おわっちまうなあ・・・!」
って頭掻きむしった彼のこころの、重圧は、いかばかりか。
考える余地はないけど、
ひとつの灯を消す作業が、悲しみ以外のなにものでもないということは、
だれの前にも歴然としているのだね。
『正常』のマキリンを見て震えた。
いつどこで観たとしても、動じず、クールで、自分の世界で凛としている人だと思ってたのに、
・・・あんなの見せられて、もう、よそのマキリン、見られないじゃないか。
本編が終わっても、何度目かのアンコールが起こっても、
椅子に座る気にはなれなかった。
彼らが本気で向き合ってくれてるのに、
休んでる暇などあるか。
大樹ちゃんががっちゃんのことおんぶして出てきたとき、
ついに涙がこぼれそうになった。
すきじゃないと、されわれないもん。あせだっくだくのひと(しかもおとこ)。
嬉しかったなぁ。
アンコール辺りになると、
もう焼かれるだけ焼かれたのか、残ったのは、
“私”とsyrupだけ。
あの人のことは頭になかった。
あったかもしれないけど、そういうのよりちゃんと、
今ここにいる「私」として彼らと対峙したいって思いのほうが強かった。
この日は聴きたい曲があった。
一番好きな『Reborn』。か、その次の『My Song』。
でも全然演る気配なくって、まぁ『I・N・M』も好きだしいっかなって、思ってた。
まさか“一番”を一番最後に聴けるだなんてね。
彼らと出逢った曲。
Veiwsic(現M-ON!)でパワープッシュみたいにずっとPVが流れてたのをちらっと見たのが最初。
「鬱陶しくて弱い声だなぁ。ボーカルダルそう・・・」
そんな第一印象。
きらい、絶対好きになれない、って思った。
それからあの人が現れて、
君にピッタリだ、と『吐く血』の歌詞をあてられ(そこに嫌悪感はない)、
BUMPとも交友があると知って、
気になるけど、でも嫌いと言った手前後に引けず、
あの人と連絡が取れなくなる直前、
どうしてもつながりが欲しかったから、やっぱり聴いてみようと思い手を伸ばしたのは『delaydead』。
(当時リアルタイムの彼らの音が『delaydead』だったから)
ちゃんと聴くと、がっちゃんの声は不思議にしっかり響いてきた。
音も、もうだいぶいろんなものを聴いた後だったから抵抗なく受け入れられた。
どんどん好きになった。
たとえ純粋には想えなくても。
『Mouth to Mouse』で『My Song』が好きになった。
教えてもらった『I・N・M』の歌詞が、痛いのにやめられなくなった。
『水色の風』を聴きたくて借りた『delayed』。
出逢いの曲になった『Reborn』は、あの時とまったく同じように鳴っていたけど、冒頭の歌詞をちゃんと読んで初めて、
「私のことを言い当てる人がまた出てきた」
と、やっと降参の白旗を上げ、それをなぞる弱くて突き抜けるような声がたまらなく愛おしくなったのだった。
本当の始まりだった。
------------- イントロのがっちゃんのギターが聴こえたと同時、その全部が、フラッシュバック。
ダメだと感じる。
くずおれてしまうと。
嬉しくって悔しくって悲しくって惨めでどうにかなりそうで、
最後の最後で堰を切った涙は止まらなくなる。
照明が会場全体を照らした時、隣の2人がいなければ、きっと泣き崩れていた。
出逢い方は最悪だったけど、好きになった動機は不純だけど、
それでも、あの人を介さないで好きになれた曲を、一番最後に演奏してくれてありがとう。
あなたとわたしでおわらせてくれて、ありがとう。
(ねぇ)がっちゃん、(あなたの音楽は)終わらないよ。(これからも)大好き。(いつまでも)愛してる。
(繋ぎとめてくれて)ありがとう。
ありがとう。
***
終演直後はもちろん脱力。
でも、隣の2人がいてくれたおかげで、どん底まで沈まずに歩いて帰れた。ほんとありがとうございます。
みんなで渋谷にご飯食べに行って、ちゃんと笑ったけど、
ほんとは早く帰ってじっとしてたかった。
こびり付いた残響をお風呂の中やベッドの中でリフレインしたかった。
あの人、もしかしたら来てたのかな。
高橋さんはどんな気持ちで観てたんだろう。
彼らは、彼女らは・・・・・。
巡る思いはたくさんだけど、深く考えられず、ぼーっとする頭。
自分のことだけ考えてりゃいいのにね。
悪い癖です。
翌日の東京観光は一日中バタバタして余韻に浸る暇もなく、
救われたような、そうでないような。
そんな2日間でした。